『眠らない街』だけではない。牛込・早稲田の由来に見る新宿区の姿とは?

「新宿区って、フツーの人が住むとこあるの?」

これは、ある地方在住の友人が発したひと言。
千代田区と並び、また千代田区とは違った意味で「人が住む」というイメージが描きにくい区が、新宿区ですね。
新宿と言えば駅周辺に広がる商業街や西側の歌舞伎町、新宿駅の小田急や京王線側と新宿三丁目周辺のデパート街。甲州街道に目を移すと、沿道には新宿御苑の深い緑の公園が。

また、新大久保のコリアンタウンや点在するフランス料理店など、異国情緒も深く外国人就労者が非常に多い区でもあります。

しかし、新宿区は31万7千人、23区中12番目の人口を擁する、立派に「人の住む街」という側面も。
そんな新宿区の姿は、いったいどのような姿なのでしょうか?

新宿区の成り立ち

戦前、新宿区は「東京35区」時代、以下の3つの区に分かれていました。

・現在の四谷駅から四谷四丁目までの、新宿通り沿いにあった「旧四谷区」
・現在の新宿区北側、神楽坂や牛込一帯、早稲田周辺に存在した「牛込区」
・淀橋、大久保、落合など現在の新宿区の中心地に存在した「淀橋区」

これらが昭和47年に合併、新宿区となり現在に至ります。
その中でも、旧淀橋区の区域は現在「新宿」と言えばここ、とイメージされる地区です。
都政の中心であり、新宿駅周辺の商業街や歌舞伎町や大久保を内包する、商業の中心地でもあります。
ヨドバシカメラ発祥の地でもあり、世界一乗降者数の多い鉄道駅、新宿駅もこの地区です。

牛込一帯は、現在高級住宅街として知られており、本場で修業した日本人シェフやフランス人シェフが開いているフランス料理店が数多く存在していることで知られています。
日本でもっともフランス人の人口が多いのも、この辺りです。

意外なことに、明治時代の初期までは牛の放牧場が存在した土地で、「牛込」という地名もその様子から名付けられたと言われています。今では全く想像できませんね。

逆に言えば、牛の放牧ができるだけの土地があったからこそ、後に高級住宅街として開発することができた、ということでしょう。

就業者集計では、意外な数値を示す

新宿区は、商業面では上に目立った数値を示しています。
大規模店舗数、年間売上額、売り場面積いずれも23区中ダントツでトップ。

しかし、「区内就業者」を軸に見てみると、意外なことにトップに立つ統計がほとんどありません。昼間人口は3位、昼間の人口密度では第4位、区外からの流入就業者率は5位。
これらの統計の上位を見ると、日本の政治・経済の中心地たる千代田区、開発が進み続ける港・中央区などが顔を出します。
それらに引きかえ、新宿はすでに超過密状態。事業者の入れ替わりは激しいながらも、入れ替わらない限り新たな事業者を収容するスペースの余裕がほとんどないことを示しています。

学生の街、早稲田の今昔

「早稲田・・・区?」

なんてものは存在しない(笑)

そう。学生街の早稲田や高田馬場も、新宿の一部。
学生向けや単身者向けアパートが建ちならび、学生向けの大盛格安定食店が軒を並べるこの地域は、かつて多くの水田があり田園風景の広がる一帯でした。
江戸期は、神田川をはじめとした小川が入りんだ地形により田園が広がっていましたが、凶作に備え他の田んぼより早く田植えをしたことにちなみ、『早稲田』の名がついたと言われています。

このように、現在の新宿区には、牛込や早稲田など江戸時代や明治初期には牧歌的な土地だった地域も内包しており、商業街以外の要素も多く存在しています。

このような新宿区を次回から2回に分け、中心地以外の地区をメインに散策してみたいと思います。

test エディター:津倉 深根雄
Web業界(主にEC業界)に十数年身を置いていた、モータースポーツ大好きなフリーライター。
夫婦でシクロツーリスト(自転車旅人間)。新婚旅行は本州~九州縦断の自転車旅。
この時、「人の心を動かすのは、サービス内容や集団ではなく、人のキャラクターとの触れ合い」なことを悟る。